【中学受験体験記】
わたしが中学受験をすると決めたのは小学校五年生のときでした。
当時はどの子も大抵小学校四年生から中学受験をするための塾に通っているのが普通…
そんな中、小学校五年生で中学受験をすると決め、なおかつ小学校五年生の夏休みはがっつり遊び、塾には夏休みが終わった後から通い始めたわたしは、自業自得とはいえかなり時間がありませんでした。
当然、大手の塾は入塾テストがあったため入ることができず、小さな地元の塾に通うことになりました。
でも、その小さなアットホームな塾がわたしには合っていたようで、勉強は大変だったけれど、塾自体は毎日楽しく通うことができました。
わたしは本が大好きな子どもだったので、国語は比較的問題なく点数が取れていました。
理科と社会も暗記科目なので、量をこなせばよいだけ。
問題は、算数でした。
もともと算数は小学校の授業でさえ苦手だったので、一番はじめの塾内テストではまさかの0点を取ってしまいました。
そこから、わたしはまずは計算力を高めるためにひたすら計算の練習、そして、問題傾向を全て網羅するため、与えられた宿題や課題をひたすらにこなしていきました。
わからない問題は先生に聞いたり、母親に聞いたり。母親に聞くと、やはり関係が近すぎるためかすぐに喧嘩になってしまっていましたが、それでも、わたしはめげずになんどもわからない点を解決するために母、そして塾の先生に聞きました。
中学受験での母の大きなサポート
中学受験で一番苦労したのはもちろん勉強をしていた本人であるわたしだとは思うのですが、わたしの中学受験で次に頑張っていたのは母であったように思います。
母はわたしがしっかりと勉強できるように毎日分単位のスケジュールを書いてくれました。
今から30分は計算ドリルをして、そのあと1時間で○○中学校の国語の過去問を解く、お母さんがすぐに○つけをしておくから、その間社会の小テストの勉強をしておく…など、本当に事細かくスケジュールを組んでくれました。
夏、冬の長期間の休みの時は、毎日どれだけ勉強したのかを1日の時間軸を塾の先生に提出するという決まりがあったのですが、塾の先生がわたしの勉強量に驚いて、他の塾の生徒にお手本として見せていたくらいでした。
小学校六年生の冬になり、ついに勝負の2月がやってきました。その頃のわたしは、壊滅的だった算数の偏差値がなんとか50くらい、国語は60くらい、理科社会は55くらいでした。
私が受けた年はちょうどサンデーショックというもので、2月1日が日曜日でした。
キリスト教をうたう中学校がのきなみ試験を実施しないので、キリスト教でなおかつ難関校が第一志望の子たちが1日に他の滑り止めの中学を受けにきてしまう、つまり、わたしのような偏差値50ギリギリくらいの生徒が希望する中学校に合格する難易度が少し難しくなってしまう年でした。
第一志望に無事合格!今の頑張りは未来の助けになる!
しかし、受験結果は無事、第一志望に合格。
自分でもびっくりしましたが、本気でやれば、努力は実るんだと身をもって体感し、感動したことを覚えています。
それから、両親のとっても嬉しそうな顔が、本当に嬉しくて、誇らしくてたまらなかったことが今になっても鮮明に思い出されます。
中学受験で味わった大変さ、頑張れば実を結ぶ、という実感はその後の中学高校生活、そして大学受験においても糧になったと断言できます。
辛い時は、自分が今まで勉強したノートの山をみてみてください。
それだけ頑張れたのだから、まだ自分は頑張れるはず、と勇気をくれると思います。
あなたの頑張りは、きっと未来のあなたが頼りにするものです。どうか諦めないでください。
この体験談を読んでいて思わずうるっときてしまいました。
はい、私もです・・涙
母の偉大なサポートと本人の努力が実った結果、第一志望合格という結果を手に入れられたのですね。
両親のとっても嬉しそうな顔が、本当に嬉しくて、誇らしくてたまらなかったことが今になっても鮮明に思い出されます。
この時の母親の気持ちも、受験生ご本人の気持ちもよ~く分かります。大変喜ばしかったことでしょう。
母のサポートも素晴らしいですね!
中学受験はまだまだ親のサポートが重要ですね。
親子で喜び合っている姿を想像して、日々のモチベーション維持につなげるのも良いかもしれません。